へぎ蕎麦を食べて気づいたこと

今日食べた蕎麦があまりにも美味しくてショックだった。こんなにも美味い蕎麦があるのかと思って泣きそうになった。蕎麦なんてしょっちゅう食べている、なのになんでこんな感動しているのか理由を考えた。ますます泣けてきた。

普段食べる蕎麦屋というのは決まっている。デパートのレストラン街か地元の路面店である。もともと私は蕎麦はあまり好きではない。しかし母が好きなのでよく食べている。母以外と蕎麦を食べることはまずない。一人の時は蕎麦なんて考えられない。だっていつも食べている。友人と食事に行く際もできれば蕎麦以外で、とお願いするくらい。

今日はたまたま知人が紹介してくれた蕎麦屋の暖簾をくぐったのである。実際は雑居ビル地下にある居酒屋という風の店なんだけど、隠れ家感があって飲み会にもよく使われているようだった。あ、店の風体はどうでもいい。新しい蕎麦屋に行ったってことが大切で、その蕎麦屋は普段母と二人なら絶対に入らないであろう店だってことが最重要ポイントです。

(えーせっかく三人でご飯なのに蕎麦かよ!他のにしようよ、どうせせいろしか食べないし、まあどうでもええわ)

おつまみ数種類とへぎ蕎麦を頼んだ。

蕎麦が運ばれてきた。途端に香りが違う。爽やかな海藻の匂い。

食べた。これが蕎麦か。信じられない。今まで蕎麦と呼んできたものとあまりにも違う。歯ごたえが違う。喉越しが違う。茹で具合が違う。めんつゆが違う。なにこれ。

これは麺なの???蕎麦なのか??何か違う種類の生き物では??!

 

蕎麦はもうせいろしか食べないと決めてから蕎麦に真面目に向き合ってきた。つもり。

母の話を聞くのが嫌だから、蕎麦に集中する。五感をフルに使って蕎麦を評価した。自分が好きではない料理なので、距離を持って辛口にせいろ蕎麦ランキングを作っていた。どこの食レポだよ。

これは普段行く店の絶対に頼まない料理を頼んだ時にあまりにもおいしくてショックを受けた状況に似ているのではないか。経験したことないけど。普段行くから一人では絶対に入らない店、の絶対に頼まない料理。大事なことなので2度言いました。

なぜ絶対に頼まない料理が存在するのか。行った時に注文すればいい話である。それがどうしてもできない。なぜできないんだ。

母が気に入らない料理は注文できない。以前にうっかりたぬきときつね両方のってる蕎麦を頼んでしまったことがある。注文する時は注意されなかったが、後日こてんぱんだった。その時からせいろ蕎麦しか食べない。一番安いし、全ての蕎麦の基本だし、てんぷら蕎麦などと違って胃にも優しい。蕎麦屋にせいろは必ずある。メニューを見なくてもいいし、どれにしようかなと悩むこともない。一番重要なのはせいろ蕎麦食べとけば母と喧嘩しなくてすむことだ。なんてピースフルな食べ物なんだろう。ありがとうせいろ蕎麦。君のおかげで無駄な諍いはひとつ減りました。

 

絶対頼まない料理のハードルはぜんぜん高くない。一人で食べに行けばいい。でも、その料理を口にすることは不可能だと思い込んでいる自分がいる。だって一人だったら他の店に行きたいじゃん。だってだってでもでも。

料理に限らず、そう思い込んでいることが他にもあるのではないか、いやたぶんある。

今回は普段行く店ではなくて普段食べるジャンルで違う店だったのだけど。

きっと普段慣れ親しんでいるジャンルにも、好んでいないジャンルにも、私の知らない部分はある。きっとじゃない、ぜったいある。

一人で、普段母と行く店に行き、普段絶対に食べない料理を注文したら違う世界が開けるのかもしれないし、なにも変わらないじゃないか、こんなこと考えていた自分を馬鹿らしいと思うかもしれない。

毒親に毒されていると、お前何言ってるんだかわからないと言われるようなことについて深く考えるようになるという話です。一行でまとめると初めてへぎ蕎麦食べたってだけだからね。

自分のクズぶりを改めて認識させてくれてありがとうへぎ蕎麦